【恋愛コラム】浮気はダメと言う人に隠された本音|RAIの恋愛心理学
浮気はいけないと言われている。誰もがそれは正論だと信じて疑わない。でも浮気は本当にいけないことなのだろうか。
浮気はダメだと声高に叫ぶ人の心理を読み解いてみた。
浮気はダメに隠された本音を暴く
怒りは本音を隠す蓋
もしあなたがパートナーに「浮気をして何が悪いんだ」聞いたら、大抵の場合はドン引きされるだろう。
下手をすれば横面の一つも張り倒されるかもしれない。それくらい危険な言葉だ。
しかしここには深い真理が隠されている。
喜怒哀楽という四文字熟語にもあるように、怒りは立派な感情だと言われているが実は違う。
心理学の世界で怒りは「第二感情」と呼ばれている。
これは怒りが感情を抑え込んでいる蓋に過ぎないということだ。
簡単に解説すると、怒りは心の中に芽生えたある感情を隠すために起こるリアクションだ。
本音を吐露すると取り返しがつかなくなる場面は多々ある。
そんなときにまず「私は気分悪いからそれ以上言わないで」と伝えるために怒りのポーズを見せているのだ。
怒りの下に本音が隠されているということは、その本音を知る必要があるだろう。
ここで浮気の話に戻る。
「浮気」とは、パートナーとは別の人を好きになる事だ。
浮気に対して怒るのは、してほしくないと思っているからだ。
つまるところ自分だけを愛してほしいという気持ちを守るために、怒りというポーズをとるのだ。
当たり前といえば当たり前の事だ。
だが、ある日突然人を好きになるということを誰しもが知っている。
一目会った瞬間、あるいは長く友人としてつき合っている相手に対して突然スイッチが入り、刹那、愛を感じる。
この愛を感じる気持ちには壁など存在しない。
道徳も、法律も、倫理も関係ない。たとえ浮気が悪い事だと思っていても、芽生えてしまうのが愛という感情だ。
しかしパートナーを愛しているなら、理性でその感情を押し殺し、新しく芽生えた気持ちが育たないようにするだろう。
先に行くか行かないか。それが浮気をするかしないの分岐点だと言える。
多くの人が、自分は浮気はしないだろうと思っている(希望的観測だが)。
そんな人は「浮気は悪い事だろうか?」と聞かれても、「良い訳がないだろう」と否定することはあっても軽く受け流すことができる。
それは浮気心が芽生えても理性で抑えてきた経験があったり、そうする自信があるからだ。
ところが愛に従順な人は、理性よりも本能が勝ってしまう。
いくらパートナーがいても、目の前に愛を感じる人が現れたら、理性をぶち破り、気がつけば浮気をしてしまうのだ。
人は自分の経験則で相手を推し量る生き物だ。だから浮気の経験者は、深層心理で人は皆浮気するものだと疑いを持っている。
けれど、浮気を理性で押しとどめてきた人は、浮気は魔がさしたからだと思うのだ。
怒りの大きさは秘密の大きさ
「浮気って本当に悪い事なのか」と聞くと、時折目を三角にして怒こる人がいる。そういうときは注意が必要だ。
怒りは感情を押し隠したポーズなのだから、その下に本当の感情が隠されている。
では先のような質問に対して、必要以上に怒る人の本音はどうなっているのだろうか。
極論をいえば浮気は悪い事なのかと聞いたときに激しく怒る人は、浮気経験者や浮気肯定派だといえる。
浮気経験者は自分がそうだから、自分のパートナーもいざとなったら理性など破ってしまうと危惧してしまいがちだ。
あるいは、浮気の経験はなくとも、理性を守り切れないだろうと思っている人達なのです。
だから浮気には敏感だ。
浮気を疑い黙ってパートナーのスマホを調べる人がいる。
これは浮気経験者や浮気肯定派がする代表的な行為だといえる。
調べるその先に必ず、浮気の事実があると信じているのだ。
「浮気をしているんじゃないのか」というのは言い訳で、パートナーに黙って調べたその時点で実は100%浮気をしていると確信している。
だからそういう人は証拠がでるまで、とことん追求する。たとえ浮気していなくとも、していたと認めるまで追求の手をゆるめないのだ。
なぜなら自分がしている、した、あるいはするだろうと思っているからだ。
浮気が理性でやめられるとは思いもしないからできることなのではないだろうか。
これが「浮気はしてはいけない」と目くじらを立てて言う人の深層に隠された本音だろう。
最後になったが、相手に浮気をされた人も「経験」から、過敏に反応する可能性が高いだろう。